人生

【嫉妬しやすい人へ】ものさしを間違えているから辛くなる

何百億と稼いでいる
大企業の社長。
そういう人の話を聞いていると、ふと羨ましくなったり。

登録者が何百万人もいるような
人気YouTuber。
動画を見ていると、ふと羨ましくなったり。

そう感じてしまうのは私だけじゃないはず。

でも成功者の心は、本当に幸せなのでしょうか。


「〇〇さんみたいになりたい。でも自分は〇〇だから…」
人からそういう話を聞くことが、最近よくありました。

そのとき、毎回思います。

「いや、そういうあなたも十分すごいですよ。」

心からそう思うから、その人の長所を伝えます。
「あなたはこういう点でこの人よりもむしろ素敵。こういう結果も出している。人生経験が豊富。」

そうやって伝えると、そこは否定しない。
けど、伝えた長所はあたかも存在しないかのように「でも〇〇さんはこうで私は全然……。」

それを聞いて思います。

「あなたは全知全能の神にでもなりたいんですか?」

人間はどこまでも貪欲。

人には長所と短所があるもの。完璧な人間なんていない。
そう聞いて、「そりゃそうだよな」「当たり前」。
そう思っている人でも、言動が伴っていない場合が多いです。
完璧人間、目指しちゃっています。

自分の長所、自分の恵まれている部分が沢山あるのにも関わらず、
他人の素敵な部分を見つけると、
自分の持っている良いものを全て無視して
「いいな~」
「羨ましい」
「自分も〇〇みたいになりたい」
とか言っちゃっている。
それで、自分の心を自分で苦しめている。

そういう人を見ていて、
ばかばかしいと思う。

というか自分もついやりがちだったからこそ
同じような人を見ていると
気になってしまう。


でも、「羨ましい」
と思ったところで、ほとんどの場合
その人みたいにはなれない。

いや、正確に言うと、「なりたくない」。

そう、なりたくないんだと思う。

いや、そんなことない!なれるもんならなりたいわ!
そう思う人は、一度自分に聞いてみてほしい。

本当に毎日その生活をしたいですか?
その生活をしないことによって得ているものはないですか?

例えば、「社長っていいな~自分も社長になりたい!」
と思ったとして。

そう思ったなら、なればいいじゃないですか。
でも、ならないのって、そこに「やりたくないこと」や「失いたくないもの」があるから。

例えば、責任を負いたくない、目立ちたくない、面倒なことはしたくない、安定的な今の仕事を失いたくないとか。

社長とあなたの違いは、社長の方が人間的に優れているとかそういうことではなくて、
単に興味や価値尺度が違うだけだと思う。

社長にとっては使命、稼ぐこと、リーダーシップを発揮すること、名誉による喜びが平均よりも大きいのかもしれない。
そして、責任を負うことへの抵抗が人より少なかったり安定より冒険の方が単純に好きなのかもしれない。
一方で、社長ではない人にとっては、 使命、稼ぐこと、リーダーシップを発揮すること、名誉による喜びよりも
家族や仲間との時間やのんびり過ごすこと、安定的に暮らすことの方が単純に好きなのかもしれない。

「パンの方が好きか、ごはんの方が好きか」
それだけの違い。

こうやって、みんなそれぞれ尺度が違うのに、
「成功」や「お金」という
尺度でつい物事を見てしまう。

なぜなら資本主義の世の中だから。
分かりやすい尺度として
「成功」や「お金」で
人の価値をはかる。はかられる。

だから、なんとなく
「成功」している人や「お金」を沢山持っている人を見ると
羨ましいと思ってしまう。

でも、自分が本当に大事にしている尺度が
「成功」や「お金」じゃないのだとしたら。

例えば、本当に大事にしている尺度が「幸せ」と「自由」なのだとしたら
いくら成功している人やお金を稼いでいる人の真似をしたところで
その人みたいにはなれない。
なれないのではなく、なりたくない。
なぜなら、その人が「幸せそう」「自由そう」じゃないから。

なれないのには、必ず理由がある。

ふだん、人と接するとき、
どんなものさしで見ていますか?

私は、「幸せそうか」と「純粋な心を持っているか」です。

私が人と会ってまず見るのは、相手の目の輝きです。

目がキラキラしている人を見ていると素敵だなと思います。
もっと話したいなと思います。

一方で、目に光がなくて純粋じゃなさそうな人を見ると
疲弊しているなとか、怖いなとか、この人とは長く続かなさそうだなと感じます。

そして、「幸せそうな人」や「純粋そうな人」の良い所は
「いいな」と思ったらすぐ真似できています。
努力しなくても、自然とやってしまうのです。
頭だけではなく、心からいいなと思うから。

一方で、「幸せそうか」、「純粋そうか」よりも
私にとって重要ではない
「成功」や「お金」という尺度で見て、
「いいな」と感じることがあっても
パッと真似して習慣化とはいきません。
何故なら、頭では「いいな」と思っても、
心からやりたいと思わないから。

自分が無意識に、一番大切にしている価値尺度はなんでしょう。
「成功」「お金」「他者からの承認」
「恋愛経験豊富か」「自由か」「尊敬されるか」
「楽できるか」「幸せか」「安定しているか」
「マウントがとれるか」「けなされないか」
「人とのつながり」「社会に貢献できるか」
「家族が喜んでくれるか」……

人それぞれ、色々あると思います。

その一番大切にしている尺度とは違う尺度で他人をはかって
羨ましいと思うだけ思うから
だから苦しいのです。

羨ましいと感じたときは、
一番大切にしている尺度ではない尺度で
はかっていることがほとんど。

自分が一番大切にしている尺度で計りなおしてみると、
今の自分の方がやっぱりいいやって思うかもしれない。

色んな尺度で計りなおしてみると、
不思議なことに、そこまで羨ましいと
思わなくなる。

例えば、「成功している」けれど「楽ではなさそう」だとか。
「社会に貢献している」けれど、「仲間への思いやりに欠けている」とか。

「羨ましい」はただの
現実逃避の場合がほとんど。

何かを得るときは同時に何かを失うものです。
その何かを失うことの方が嫌だから、得られないし得たくないのです。

嫉妬は百害あって一利なし。
いい加減自分の人生を生きろっていう話でした。

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